九州行った
卒業旅行ということで九州に行ってきた。
当日、伊丹空港で朝一の便に乗るために早起きした。03:30起き。朝じゃねぇ。夜。
ちなみに飛行機に無事乗れるか、旅行で行きたいところに行けるかなどしょうもないことにビビりまくり一睡も出来なかった。メンタルチキン過ぎる。
伊丹から福岡まで飛行機で50分だった。雲海がとても綺麗でずっと見ていた。ぼーっとしたり、朝イチなのに素晴らしい笑顔のスチュワーデスさんがくれたコンソメスープなどを飲んでいたら福岡空港に着いた。夜が明けていた。
博多だ!!
朝だからショッピングをしようもどこも開いてない...ということで、博多から電車で30分くらいの水族館に行った。
木から南国感って書いたけど、福岡は緑がとにかく濃い。空の色も濃い。当日は暑かった。
水族館の入り口には園児が溢れていた。どうやら何処ぞの親子行事とマッチングしたっぽかった。園児めっちゃ元気だった。
去るそうじき※
水族館は色々いた。やどかりとラッコが可愛かった。チンアナゴは生で初めて見て、やっぱキモいなと再確認した。
水族館を出た後、駅でお昼を食べた。博多ラーメンうまかった。
電車で博多から長崎へ。
長崎の街。路面電車。
長崎は山の斜面にびっちりと建物が建っていて独特の風景だった。長崎駅から路面電車に乗ったけど、まるでどこぞの市バスを思い出すような混雑さだった。どこまで行っても運賃は一律120円。良心的だ。
東洋と西洋の文化が入り混じる旧グラバー邸
グラバーは、造船・炭鉱・製茶貿易業を通し日本の近代化に貢献した人(パンフレットから引用)。石畳と、花と、階段を登った先にある展望台から見える港が綺麗だった。ただ入ってすぐ自動エスカレーターがあるのがシュールだった。
数々の部屋の中も見学出来た。家具は、古びた時計、花瓶、鏡、オルゴールなど全部西洋ロマン溢れていた。西洋感溢れる一方で、建物の屋根は瓦だったり、日本画が書かれた屏風や桐のタンスなど日本の製品が置いてあったりと、日本と西洋が混ざった所が多々見られとてもエキゾチックだった。
閉園直前、「石畳に隠されている(人為的なのか自然物なのかは不明)ハートの形の石を見つけると願いが叶う」という世界遺産に見合わないやっすいジンクスに踊らされ、めちゃくちゃ頑張って石を探していた。最終的にたまたま持ってた何でも分かる四角い箱※で情報を得て発見に成功。果たして願いは叶うのか...?
夜は四海棲というちゃんぽん発祥の店で、ちゃんぽんと皿うどんを食べた。どちらももちろん美味しかったのだけれど、皿うどんは衝撃的な美味しさでとても感動した。その店で持ち帰り用の皿うどんを買ってしまった。
佐世保。やはり木が南国。
佐世保駅近くの商店街を歩いた先にある「ビッグマン」という店で佐世保バーガーを食べた。鉄板で焼かれたカリカリのパン、折り畳まれたベーコンとマヨネーズがジューシーでとても美味しかった。
お昼を食べたあと、佐世保駅から電車に乗り、ハウステンボスへ行った。
ハウステンボスはとても広い!
最終的に残った印象は「ハウステンボス広すぎ...」というものだった。人は結構来ているはずなのに、広すぎて分散しているのかスカスカ。レンタサイクルが利用出来るらしく、男子高校生が園内を爆走していた。人混みで溢れるはずの遊園地内を自転車で走れるってすごい...。
ヨーロッパの街並み大好きマンなので景色にとても満足した。
アトラクションは方針の固まらないものが寄せ集められた感じで、それはそれでシュールで面白かった。ホラー的なエリアの病院を模したお化け屋敷がなかなか怖くて楽しめた。
5〜8人が同時に楽しむ体験型のアトラクションが多く、(5人で力を合わせてゾンビを倒したり...) 少人数の客を生かしているなぁと思った。大規模な遊園地だったら絶対に出来ない。
ハウステンボスで食べた夕食は、佐世保名物レモンステーキ。爽やかで美味しかった。
佐世保から長崎駅へ帰る途中に間違えて無人駅で降りるドキドキのハプニングがあり旅行楽しいーーってなった。
三日目は、予約していた軍艦島クルーズに参加した。
船から撮影。廃墟の島、軍艦島。
長崎港から船で50分程度運航したところにある軍艦島は、1890年頃から海底炭鉱を操業した小さな島。ピーク時には5300人もの人が住み、映画館や小中学校もあったらしい(パンフレットより引用)。
その60以上もある施設を撤去したり、新しく建て直したりする技術は現代には無いらしい。あってもお金かかるだろうなぁ...。
もともと軍艦島に上陸出来るツアーを予約していたが、天気や波などの条件によっては上陸出来ずに周遊だけで終わる可能性もあった。しかし自分たちが参加した日は天気に恵まれて上陸が出来た。三日ぶりだったらしい。嬉しかった。
歩ける範囲は狭かったものの、朽ちた建物は圧巻だった。建物を植物が侵食する様も同じく。
島で過酷な労働をしていた人々は、炭鉱が閉じられた後、どんな思いで島を出て行ったのだろう、朽ちていく建物をどんな気持ちで見ていたのだろう、と帰りの船で考えた。
船から降りたあと、もはや埋め立てにより島では無くなっていた出島を少しだけ観光し、中華街でスープチャーハンを食べた。
福岡空港に戻り、明太子やらを購入し飛行機で帰った。夜景が綺麗だった。ちなみに明太子は今日の夜に食べたけどやはり美味しかった。
良い卒業旅行だった。なんだかんだで食べ物が全部美味しかったことが印象に残っている。また行きたいなぁ。
※そうじき...某ゲームの敵キャラ
※スマホ。
部屋が広い
今朝は家具の運び出しを終えた。部屋が広い。
2月に入ってから、バイトをめっちゃ入れて働きつつ引っ越しの準備をし、各方面の送別会やらをこなしスターウォーズを全作(6作)見てから新作を映画館まで見に行ったり、積んでたFF10とFF6を終わらせたり......と目まぐるしい毎日を過ごしていたら3月になっていた。光陰矢の如し現象。自由に出来る日々が過ぎ去っていくことを実感して少々つらい。
今日は家具と段ボールを引っ越し屋さんに運んでもらった。引っ越しの準備はめちゃくちゃ大変だった。主に掃除面。掃除は超が付くほど苦手でココロが大いに削られる行為だ。疲れた。
でも引っ越しが終わってみると部屋が広くて感動する。テレビも無いし冷蔵庫も無いし電子レンジも洗濯機も自転車も無いけど、まだこの部屋でしばらく暮らす。卒業式には退去するからまだまだ掃除しなければならない...。
研修の関係で新居に移るのは5月半ば以降になりそうだ。
数日後に九州に旅行に行くので楽しみ。
ゆっくりする暇が無くDFの反省記事やらDFの作曲作業やらが出来ずにいるけど、それらの作業は旅行を終えて実家に戻ってからになりそう。
以上、久しぶりの日記でした。
旅行行って綺麗な写真が撮れたらまた更新しようと思う。おやすみ。
DF☆大反省会!その2
このブログの存在は忘れていなかったものの、
色々なごたごたが重なって前の記事から随分空いてしまった。
つらい時期は過ぎ去りました。ご心配かけてすみません。
では反省会について。
Ⅰ.ストーリー構成・セリフなどシナリオ部分に類する物(前編)
Ⅱ.マップ・ダンジョン構成や戦闘などのゲームデザインやシステム部分に類する物(中編)
Ⅲ.音楽・効果音関連(後編)
前回はⅠについて反省しましたね。長々と。コメントありがとうございます。
今回はⅡについて色々と反省点とか書きます。
ぜっっったいにストーリー以上に問題点が多い。
もちろんネタバレ注意です。
その他の注意などは前の反省会そのⅠの記事をご覧下さいということで割愛。
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DF☆大反省会!その1
こんにちは。制作代表のロクです。
文化祭でゲームをお買い上げいただき、ありがとうございました!
感想、二次創作などチラホラ目にしております。とても嬉しいです。
今回、この記事をサークルのブログに書き込むかそれともDFの制作者としてのブログを作ってそこに書き込むか迷って上記のようなことを書いたけど、この記事は長すぎるうえに個人的すぎる(?)のでとりあえずこのブログに書いた。
検索に引っかからないようにゲーム名は「DF」で統一している。
見られたいんだか見られたくないんだか。
さて……本題に。
今回めでたく完成したこのゲーム、
良くも悪くも二年間の制作技術の向上が圧縮されたゲームとなった。
良くも悪くもというか「悪くも」の部分の方が多い模様
完成してからおおよそ一カ月が経ったが、
無料配布版を制作する前に今一度修正すべき点を見直してみようと思う。
・すごく!ネタバレ!注意!!クリア後に見て下さい!!!!
・山ほどあるので長くなります
・素材に関しては何も言いません(協力して下さったメンバーの皆様に大感謝)
・あくまで自分が制作した部分だけ言及します
・賛否両論はあると思います
・叩かれる前に自分からけなしておこうという卑怯な防御の精神
・思いついたものから書いて行きます。まとまりはありません。
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近況
記事を書くのが久し振りでどういう風に考えて書いていたのかすっかり忘れてしまった。なんとなく、自分の近況を書こうと思って開いてみたら、なんか記事作成画面の構成が変わっていて驚いた。どこでタグ付けするのこれ。写真投稿は楽になってるっぽい。
内定を貰ってからというもの目的の無い日が続いた。かといってやることはある。でも何となくやる気が出なくて、そんな自分にイライラして就活から解放されたはずなのに焦燥感に駆られるという変な気分で毎日を過ごしていた。夏休みになってからは、現実を受け止めたのか知らないけれど気持ちが幾分か晴れて、遊んだり休んだり地元の友達と会ったりお祭りに行ったりプールに泳ぎに行ったりした。
今日のメインとなる話につながるけれど、七月に母方の祖父の体調が急に悪くなって、地元の病院に入院した。地元に戻った時には三日おきに祖父に会いに行った。大変なのは母だった。母は、仕事へ行かない時は病院に行き祖父のお世話をし、空いた時間に寂しくなった祖母と一緒にいた。だから、実家の家事は全部自分がしていた。四人ぶんの家事は大変で、母ってすごいなぁとつくづく思った。
お葬式から日が経って、心の整理も出来てきたので、忘れないうちに今日は祖父のことを書こうと思う。現実話せないような暗い内容なので、このこっそりと公開しているブログで誰かに聞いて欲しいというのもあるし。
祖父は日に日に弱っていった。元気なころの祖父とは別人に見えて悲しかった。
母方の祖父母とは家が近いのでよく遊びに行ったし、祖父母も祖父が運転する車で家に来たりした。
祖父は、いつも竹を加工して孫の手や靴すべりを大量に作っていた。
それで近所の人などに所構わず配っていた。母と祖母は「迷惑だからやめて」といつも言っていた。
自分の自転車の鍵には、祖父が作ったミニチュア靴すべりが付いている。
祖父は車が大好きだったので、小さなころはよくドライブに連れていってもらった。
ソフトクリームやパフェを食べさせてもらうことが目当てだったけれど。
そんな祖父は入院してから一週間で廃車してしまった。
もう運転出来ないことが分かっていたのかもしれない。
九月のはじめに祖父が亡くなった。
母からの電話を受け急いで病院に行ったら、祖父はベッドで動かなくなっていた。
自分は、身内や友達、親戚の死を経験したことが一度も無かった。
母方、父方の祖父母は皆元気だった。だから、亡くなった人を初めて見た。
母は泣いていた。自分は母の泣いている所を一度も見た事が無かったので動揺した。
祖父に触ったら、冷たくはないけれどぬるくて、それが人の温度ではもう無くて、「ああ、人ってずっと生きないのだな」と思った。
触った感覚が今も手に残っている気がする。
それから葬儀の準備をした。
皆ベッドの傍で悲しんでいたのに、急に「お寺はどうする」「何宗にする」「葬式会場は」「このプランが無料になるらしいお得だね」という話になって、現実的になるの早すぎだと思った。
祖父が亡くなってからしばらくはめちゃくちゃ忙しかった。
母がずっといないので家事をしたけれど、ゴミ出ししたりとか弟のお弁当を作ったりとか母が必要な物の準備を連絡があったらすぐしたりとかそういうことを四六時中していた。数珠を買いに行ったりもした。
お通夜とお葬式の準備も手伝った。初めて会う親戚にお茶を出し、話をした。
お葬式の時、綺麗になった祖父が入る棺桶にお花を沢山入れる時に、もう二度とこの祖父は起きないのだな、と実感して本当に悲しかった。お花でいっぱいになった棺桶が火葬場に行ってしまって、お骨になった祖父を見た時も悲しかった。もう祖父じゃないと思った。
焼かれた祖父の骨は熱気を放っていて、骨壺に皆の手で入れた。火葬場の人が「ここが喉仏ですよー」「ここが鎖骨ですよー」とか言いながら並べてくれたけれど、「よく分かるなぁ」とぼんやりと思った。
お葬式が終わってからも色々と忙しかった。
二日間の内定者研修があったのでその一日前に下宿のほうに戻り、その翌朝6時に起きて、23時前に帰ってきてまた翌朝6時に起きてその日の23時に帰ってくるという怒涛のスケジュールをこなした。それが三日前になる。
内定者研修もすごく疲れる内容だったので、研修が終わった翌日は一日中寝てしまった。
今日も全体的にぼーっと過ごした。
日が経ったら祖父が亡くなった悲しさも薄れていくかもしれないけど、
祖父のことを忘れないでおこうと思った。
余談だけど、お葬式の日のお昼に親戚一同で食べたお弁当がめちゃくちゃ美味しかった。
父が教えてくれたけれど、お弁当一つでゲームソフトが買える値段だった。
祖父が亡くなっているのにこんな美味しいものを食べていいのか……と思ったけれど、美味しいものは美味しいのでニコニコしながら食べてしまった。
終わり。